人は年相応の意識を持つべきだという話

目安時間 2分

次の文は孔子の論語からです。

子曰わく、吾 十有五にして学に志す。

三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。

六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。

「為政第二」4

日本語に訳すと、
次のような意味になるそうです。

私は十五歳になったころ、
学問に心が向かうようになった。

三十歳になることには、独り立ちができた。

四十歳のときになると、自信が揺るがず、
もう惑うことがなくなった。

五十歳を迎えるころには、天が私に与えた
使命を自覚するようになった。

その後、苦難の道を歩んだ経験からか、

六十歳ともなると、他人のことばを聞くと
その細かい気持ちまで分かるようになった。

今、七十歳になり、
自分のこころの求めるままに行動しても、
規定・規範からはずれるというようなことが
なくなった。

今の時代に相応かどうかは、
各自の判断に任せるとして、

人間が年齢を重ねることで、
こうなるんだという、シュミレーションはできますね。

この中で、やはり一番インパクトの強い部分は、
やはり、30歳にして立つ、でしょう。

仕事でも、家庭でも、親として、上司として、先輩として、
自立できることが30歳の課題だというわけです。

それを超えて、40にして惑わず、
の境地を迎えるわけです。

30で自立できなかったら、果たして、
自信を持って四十を迎えることができるでしょうか。

ぼく「てつや」はもうすでに67歳ですから、
他人の細かい気持ちまでわかるということに
なりますが、まだ道半ばです。

でも、70歳になるころには、心の求めるままに
行動できるようになりたいものです。

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